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東京高等裁判所 昭和29年(ラ)4号 決定

抗告人 根本蔵志

訴訟代理人 貝塚徳之助

相手方 根本きん

主文

原決定を取り消す。

相手方の相続放棄の申述の受理取消の申立を却下する。

手続費用は全部相手方の負担とする。

理由

本件抗告の要旨は、

(一)  原審判は、審判書中に何ら理由の要旨を記載していない。右は家事審判規則第十六条に反するものであつて、違法である。

(二)  被相続人根本覚蔵は昭和二十七年九月二十八日死亡し、その相続人は、配偶者である相手方と長男である抗告人及び次男である根本孔の三名であるところ、右三名は、同年十二月十七日夜抗告人方で会合し、種々協議した結果、相手方と根本孔は、いずれも右相続を放棄することに話がまとまり、同月二十四日夜再度会合した際、右相続放棄の申述手続は抗告人が相手方及び根本孔を代理してなすことになり、抗告人は、相手方から右手続に使用するため印顆二個の交付を受け、翌二十五日これを携帯して水戸家庭裁判所龍ケ崎支部に赴き、司法書士浜田源之助に依頼して相手方並びに根本孔名義の申述書をつくり、前記印顆中一個を使用して所要の押印をなし、これを同裁判所に差し出して受理せられたものであつて、右申述が相手方の真意に出たものであることは明らかであるのにかかわらず、相手方は、右受理後抗告人が相続不動産につき単独相続による所有権取得登記をなすや、にわかにその態度を変じ、前記相続放棄の申述が相手方の真意に出たものでなく何人かがほしいままに相手方の名義を冒用してなしたものであると主張して本件取消の申立に及んだのであつて、原審がたやすく右申立を容れ、前記相続放棄の申述受理の審判を取り消し右申述を却下する旨の審判をなしたのは不当である。

そして、抗告人は、共同相続人の一人として、右申述却下の審判に対し利害関係あるを以て、ここに即時抗告をなし「原審判を取り消す、右申述を受理する。」との旨の裁判を求める。

というにあつて、根本志げの作成にかかる昭和二十八年十二月十八日附覚と題する書面を提出した。

よつて審究するに、記録によれば、原審水戸家庭裁判所龍ケ崎支部が原審判をなすにいたるまでの経過は抗告人主張のとおりであつて、すなわち、被相続人根本覚蔵は昭和二十七年九月二十八日死亡し、その相続人は、配偶者である相手方と長男である抗告人及び次男である根本孔の三名であるところ、同年十二月二十五日右相続を放棄する旨の相手方名義の申述書が管轄家庭裁判所である原審に差し出されたので、原審は、調査の上同日これを受理した。ところがその後昭和二十八年五月十五日、相手方は、右申述は何人かが相手方名義の申述書を偽造してなしたものであつて相手方の関知するところでなく、従つて相手方の真意に出たものでないと主張して原審に対し相続放棄の申述受理の審判取消の申立をなし、原審は、右申立に基き再度取調をなした結果、相手方の右申立を理由ありと認め、同年十一月二十五日前記申述受理の審判を取り消し右申述を却下する旨の審判をなしたのである。

しかしながら、このような場合、相手方は果して右申述受理の審判取消の申立をなすことができるのであろうか、又、原審は果して右申述受理後であるにかかわらず右受理の審判を取り消し右申述を却下する旨の審判をなすことができるのであろうか。

相続放棄の申述は家庭裁判所に申述書を差し出してこれをなし、家庭裁判所の受理によつて効力を生ずる。(民法第九百三十八条、家事審判法第九条第一項甲類二十九、家事審判規則第百十四条、第百十五条第一項)そして家庭裁判所は、相続放棄の申述書が差し出された場合、申述書が形式的要件を具備しているかどうか及び放棄が放棄者の真意に出たものかどうかを取り調べ、間違ないと思えばこれを受理し、そうでないと思えばこれを却下する。却下の審判に対しては放棄者又は利害関係人は即時抗告ができるが、(家事審判規則第百十五条第二項第百十一条)受理の審判に対しては家事審判規則に即時抗告をなすことを認めた規定がなく、又非訟事件手続法の抗告に関する第二十条の規定も準用がないので、(家事審判法第七条第十四条参照)即時抗告をすることができないものといわなければならぬ。従つて本件において相手方が受理の審判に対し即時抗告をする趣旨で本件取消の申立をなしたとすればそれは許されないものといわなければならぬ。

次に民法第九百十九条第二項によれば、相続放棄の申述者は、その申述が受理せられた後であつても、無能力又は詐欺強迫を理由として放棄の取消をすることができ、右取消の意思表示は、相続の放棄が家庭裁判所に対する申述によつてなされることにかんがみ当然家庭裁判所に対してなされるべきであつて、家庭裁判所は、相続放棄の申述受理と同様審判を以て右取消の当否を判定すべきであるが、相手方が本件取消申立において主張するところは、前記のとおり本件相続放棄の申述書が偽造文書であつて相手方の関知しないものであるというのであるから本件相続放棄の当然無効を主張しているものというべく、このような場合、民法第九百十九条第二項の取消に準じ家庭裁判所に対しさきに受理せられた相続放棄の申述受理の審判の取消を求めることは、同条が相続の放棄は多くの人の利害に関係するところであるから相続人が一度これをした以上これを取り消すことができないこととし唯同条第二項の場合に限り取り消すことを認めた法意にかんがみ、これをすることができないものと解するを相当とすべく、もし相手方がこのような意味で本件取消の申立をなしたとすれば、それは不適法であつて許すことができないものといわなければならぬ。

次に非訟事件手続法第十九条第一項によれば、裁判所は、裁判をなした後その裁判を不当と認めるときはこれを取り消し又は変更することをうべく、この規定は家事審判法第七条により審判に準用があるものと解せられるので、原審は、右法条に基いて原審判をなしたのであつて、相手方の本件取消の申立はいわばその職権発動を促がしたものと解せられぬこともない。しかしながら、右取消変更の審判はいかなる時いかなる場合にもこれをなしうるものではなく、そこにはおのずから限度制限があることを理解しなければならぬ。すなわち相続放棄の申述は、さきに申したとおり、家庭裁判所の受理によつて効力を生ずるものであつて、一度受理せられた以上、後にこれを取り消し又は変更することは、いたずらに相続関係に無用の混乱を生ずるばかりでなく、審判は判決のように既判力をもつていないのであるから、相続放棄の申述受理後でもこれによる放棄の効力を争うものは訴訟手続においてこれを争うことをうべく、従つて職権によりさきになした受理の審判を取消変更することは、恰も執行を要する裁判の執行終了後はこれが取消変更を許さないのと同様、許されないものといわなければならぬ。

以上説示のとおりであつて、いかなる観点からみても、相手方の本件取消の申立は不適法であつてこれを却下するの外なく、原審判は不当であつて取消をまぬがれない。もしそれ相手方主張のような事実関係であるとするならば、固より本件相続の放棄が相手方に対し効力を生ずるものでないことは当然であるから、相手方は、訴訟手続において、直接本件相続放棄の不存在又は無効なることの確認を求め、又はこれに関連する訴訟、たとえば相続不動産の単独相続による取得登記の抹消を求める訴訟において、その事実上の主張として右相続放棄の無効なることを主張すべく、家庭裁判所は相続放棄の申述書が差し出された場合、軽軽にこれを受理することなく、少くとも本人を呼び出してその申述が本人の真意に基いてなされたことを確かめた上、これを受理することが望ましいのである。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判長判事 大江保直 判事 岡咲恕一 判事 猪俣幸一)

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